【夏休み特集】田原本の歴史を知ろう!(第3回)
みなさん、こんにちは!
京進スクール・ワン田原本教室 教室長の冨永です。
今回の「【夏休み特集】田原本の歴史を知ろう!」は、桃太郎のモデルとされる大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)をピックアップします。
太安万侶(第1回でピックアップ)が撰録した『古事記』が伝える大吉備津日子命は、もとの名を比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)といいます。
彼は第7代・孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇子で、孝霊天皇は黒田廬戸宮(くろだ いほとのみや)を宮(政庁)としてまつりごとをおこなったといわれています。
黒田廬戸宮は田原本町内の法楽寺境内にあったとされ、その南西には天皇の名を冠した孝霊神社が存在します。
日本国内に「桃太郎伝説」を唱える地域がいくつかありますが、『古事記』『日本書紀』の記述をもとに、田原本町は桃太郎のふるさとといわれています。
①生まれ育った宮があった
②町内東部の初瀬川が洪水となり、大きな甕(かめ)が流れて来て、出てきた男の子がのちに神様となった
③同じく東部の室原という地域で毛桃の木が繁っていた
といった伝承が後押ししているようです。
さて、むかしむかし吉備(いまの岡山県)と讃岐(香川県)の海峡に温羅(うら)という鬼が住んでおり、製鉄を生業とする集団だったそうですが、西国から都へ向かう船を襲っては人を殺したり、財宝を奪ったりと相当な悪事をはたらいていたといいます。
孝霊天皇はこのことを憂慮し、比古伊佐勢理毘古命に鬼退治を命じました。
私も、桃太郎の誕生地が田原本であると10年ほど前テレビでみてはじめて知り、そして驚き、鬼ヶ島のモデルといわれる岡山県の鬼ノ城(きのじょう)、大吉備津日子命を祀る吉備津(きびつ)神社、吉備津彦(きびつひこ)神社を訪ねました(帰ってきてからですが、もちろん孝霊神社にもお参りしました)。
途中、対向できないほどの山道を自動車で走り、鬼ノ城ビジターセンターの駐車場に停めると、歩いて30分ほどで山頂です。
ちょうどこの時期でしたので、汗だくで山頂に着きましたが、吹き抜ける風は爽快でした。
そして、山頂からは岡山県南部の平野が一望でき、そこには大きな前方後円墳がいくつか見えました。
代表的なものは全長350mで大きさ国内第4位の造山(つくりやま)古墳、286mで10位の作山(こちらも、つくりやま)古墳です(ちなみに第1位の大山陵は486m、桜井市の箸墓古墳は280mで11位です)。
吉備地域に国内最大級の古墳があるということは、この地域に大きな力を持った実力者が存在したということです。
当時は王権に従属した証として前方後円墳の設計図などが渡されたといわれていますし、田原本町・唐古池周辺では吉備から運ばれた土器が出土していることから、大和(奈良県)と吉備の交流を今に伝えています。
←(左から)鬼ノ城山頂全景、山頂からの景色、鬼ノ城案内板(2013年8月撮影)
ところで余談ですが、岡山市北部から鬼ノ城がある総社市にかけて、「まほろば」という看板をたくさん見かけました。
まほろば珈琲店、まほろばの里、まほろばセンター、といった具合です。
本家「まほろば」の地、奈良県でもこんなにひんぱんに見かけませんし、「まほろば」という言葉は大和から吉備にもたらされ、本家よりたくさん使われているのでしょうか(笑)。
さて、「【夏休み特集】田原本の歴史を知ろう!」は今回でおしまいです。
最後まで読んでいただいたみなさん、ほとんど個人的な趣味で進めてきましたが、本当にありがとうございました。
みなさんの夏休みはいかがでしたか?
調べれば調べるほどに、たくさんの歴史上の人物が田原本と接点がありました。
おもしろいお話がありましたら、お寄せいただければ、と思います。
今回のように調べ物をし、資料を読んでいますと、漢字について「こんな読み方をするのか」とか「意外と普通に読むのだな」と、その多様性や利便性に気づかされます。
日本の漢字には音読み・訓読み、そして意味も加わって、理解するのがとても難しいと実感します。
しかし、漢字の用法や法則性を理解し、成り立ちを知ると、とても楽しくなってきます(…それは私だけでしょうか)。
当教室では、小学生のみなさんに読解力・思考力・表現力など論理的思考力を養ってもらうための授業「論理ing(ろんりんぐ)」を提供していますが、まずは漢字を知っていなければ文章は読めませんので、授業外での漢字書き取り指導や「漢字能力検定」の受験によって、着実に漢字能力を身につけてもらうことをお勧めしています。
「漢字検定」につきましては、10月23日(土)の実施を予定しています。
実施要項は、追ってご案内させていただきます。
※イベントやキャンペーンは教室ごとに異なります